久々のような気がします。本のことを書くの。
…そうでもない?(^^ゞ
ご存知の方も多いのかな?
ガイアシンフォニーの映画に出られていたらしい(私は見ていないので)
佐藤初女さんの本。
何度も泣けます。心の洗濯ができる本です。
私は彼女のようにはご飯を作れないけれど、少しでも近づけるように
ご飯を作りたいなぁって(女らしからぬ)私が思った位素敵な本です。
なんだかね、WWFというところがひっかかって、ずっと気になっていた
のになかなか借りなかった本。
借りて読んでよかったです。活動するためのキッカケが欲しい人には
有益なんじゃないかしら?
読んでいる間は、美容整形かぁ、それも良いのかもなって思って
読みました。
話は変わるようですが、学生時代に骨髄バンクなるものにも登録し
臓器も意思表示をどうしようかと考えておりました。
登録していた間に骨髄適合者の患者さんは現れず、やめてしまった
のですが、この問題私の中でずっとひっかかっています。
医療が進んでいくことは良いことだけれど、それを私個人は
どう使っていくのか。どのように判断するのか。
その納得が行く答えが得られていません。
骨髄バンクに登録していた頃は「私の体の部分が使われなくなった
時に誰かの役に立ったり、少し痛いおもいをするかもしれないけど
誰かと分かち合うことで助かる人が居るなら嬉しい」
と考えていました。
が、「どこがボーダーラインなんだ?」ということが分からなくなって
しまい登録を解消しました。
またまた批判されるかもしれないけれど、この世界で生きにくい
ように生まれてきた方は、生まれて来て何かするために
そのように生まれたのではないか。とも考えるのです。
何か、とは、そういう方々がいるということを示すことかも知れないし
また、医療技術で助かるということを示すためかも
はたまた、その他のことのためかもしれない。
と考えると、私が骨髄や臓器を提供するのも提供しないのも
どちらでも良いということになるのですが(私も何かを示す?
ために迷っているのかも知れないから)このことについては
「明るい方向」がどちらなのか(それともどちらでもないのか)
分からないでいます。
ただ、その人自信にとって、その人とその人の周りの方に
とって、笑顔で生きられるようになる選択ならどちらでも
良いんだろうな、とも考えます。
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