私の仕事は、直接誰かの役に立っているって
考えにくい内容です。
実態の伴わないもの…って言っていいのかも?
「物」を作り出すものでも「感動」を伝えるものでも
ないんですよね。
しかも、事務員なので 役に立っているかどうか
分からない仕事自体にも直接は携わってない
ということになります。
仕事って、生活のため – お金を得るため – にする
という考え方もあって私もそれを採用してきて
無事に生活できているわけで、ありがたいと
思いこそすれ疑問を持っちゃいけないのかも
知れないんですけど、せっかく仕事をするのなら
役に立っていると思える仕事がしたいなぁと
思ったりもします。
最初に「私の仕事は直接誰かの役にたっている
と考えにくい」と書きましたが、アングルをひいて
考えてみると、役に立っているかどうかはともかく
必要はあるのだろう。
そうでなければお仕事をしてお給料をいただくこと
はできない。
それを役に立っていると言えない事も無いと思う。
とすると、自分が納得して仕事をできているかどうか
っていうのが問題の核心なのかな、と。
お仕事が嫌いなわけでも、ハードすぎてやめたい
わけでもないんです。
限られた(125年?)の時間の中でよりやるべきこと
があって道は見えるのにそこに行くための手段が
まだ分からないために板ばさみになっている
ということなのかも知れません。
働くって、仕事って、何なんでしょうね?
食べるために畑で野菜を作ったり、快適にすごす
ために気持ちよい空間を提供したりすることは
単純でよく分かるんですけど。
難しいことを考え出すと、途端にスパイラルの中
に入ってしまいます。
いつでも一歩ずつしか進めないって頭では
わかっている”つもり”なんですが、実際には
わかっていないんでしょうねぇ。
できることをできるだけやりきって生を終えた
と、この世からお暇するときに言える生き方を
していきたいと思います。
なんだかダメダメな内容ですね今日は(も?笑)。
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