最近特に強く思うこと。
それは、全てが程度の問題だなぁってこと。
こんなに環境問題が大きくなっちゃったのは、人が増えたから。
医療技術が向上したから。
いろんな余裕ができたから。
そして、みんなおんなじように「幸せ」になるためには
「消費」や「エネルギーをたくさん使う」や「お金」なんかが
必要だって思ったから。
でも、本当は、それぞれの人によって、それぞれの民族によって
「幸せ」って全然違うんだと思うんです。
もちろん、人を踏みにじってよいと言うわけではありません。
すでにお金持ちになっている国が、お金持ちになりたい国の
資源を奪ってよいというわけでもありません。
でも、選択できて良いと思うんです。
私は日本が先進国と呼ばれる地位じゃなくなっても全然構わない。
それよりも、自然エネルギー自給率50%(これが現在考えられて
いる日本の自然エネルギー自給率の上限)だったり、
人々がゆったり余裕を持って考えられていて
自然の恵みに感謝できているのが普通だったり、
少しのもの(資源とか)をたくさんの人と共有して楽しむには
どうするかってことが一番の興味の対象だったりする国に
なっている方が、断然嬉しい。
批判されちゃうかも知れないけれど、自然淘汰としては
人類が多すぎれば少なくしなくちゃならないのは当然のことで
それが普通。
今、どうやって食料を確保するのかって懸命に考えている
けれど、それでよいのかなぁ? 違う気がするな。
(だからって殺してよいとか戦争するという話じゃないよ)
日本の出生率が上がらないのは、社会環境、労働環境、
お金の問題などなどっていうことだって言われているけど
仮にこれらの問題が全部解決しても、みんながみんな
5人生むってことは考えられないよね?
じゃぁ、子沢山の国はどうしてあんなに子どもが増えるのか。
教育不足だったり、医療や衛生が発達していないから死亡率
が高いからだったりするんじゃないだろうか。
もうひとつ。世界が分からないから。その国、自分の居るところ、
自分の家族に視野が限られているから、大きな視点で考える
ことができないのでは?
とすると、食料をなんとか足りるようにするってことよりも
先に対応することがあるよね?
食料を足りるようにする努力は、人口とのいたちごっこになる。
おっと、食料自給率を上げるという問題とは別の話ですよ。
食料自給率は、また書きますけど、複雑にからんだ問題で
本当はもっと上げられるのに上げていないから問題なんです。
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