それでも

毎日色んなニュースが飛び交っていて
もう大分前のような気がするのですが
先日、高校生のバスケ部の部長さん?が
自殺しちゃいましたよね。

報道を全部信用するわけではないのですが
報道によると彼は「恨みを晴らすため」に
自らの命を絶ったように私には聞こえます。

そんなことのために死んじゃダメです。
でも、そんな風に考えてしまう世の中なのかも
知れないなぁとも思います。
10年一昔とすると二昔ほど前に遡らないと
彼と同じくらいの年になりませんので
20年ほど前の私の高校時代は、イジメもあったし
もちろん体罰もありましたが、先生も加減したし
やられている生徒もやられっぱなしじゃ無く
やられている生徒をかばう子や、体罰をする
先生に歯向かう子もいました。

バスケという部活に一生懸命で、部活が彼の
全世界になっていたんだろうと思うけど
「そんなに一生懸命になるな」と言いたい。
誤解の無いように言っておくと一生懸命になるのが
いけないと言っているのではないんです。
その世界しか見えないほど一生懸命で
後ろ向きの考えしかもてないなら「適当」で
「いい加減」な方がより建設的です。
時には逃げてもいいんです。逃げる道を示して
くれる人はいなかったんだろうか?
逃げる道は選択肢として理解できたけど、彼の中
ではその道は選択できなかったんだろうか?
戦って勝つばかりがいいことじゃないよ。
逃げるのもいいよ。

土曜にいつものように友たちとごはん食べた時に
「死」が身近でないのが原因かも?という話に
なりました。
私の子どもの頃は祖父母と生活することが
普通だったから成長とともに祖父母が亡くなり
死というものを何となくわかったり、
ペットを飼っていたりしてペットの死に目に
あったりしました。
そんな中で「死」とはどういうものかが
ぼんやりと分かっていったと思うんです。
今は葬儀も業者さんが取り仕切ってくれて
故人を送るための準備や装備も業者さんが
してくれたりします。
もっと「生」とか「死」が近いものであるような
世界であって欲しいなぁ。

そういう意味で、バスケ部の彼はかわいそう
だったかも知れないとは思う。
それでも生きて別の道を選択して欲しかった。

死を選択してもよいと私が今思えるのは
「自分が自分であると認識できなくなった人」
だけです。

生きる義務と死ぬ権利。また考えてしまいました。

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