与えられないもの

友の結婚披露パーティーの画ですラブラブ
お見送りしていただくときのトラジェ(だっけ?)です。

できることをひとつずつ

友が好きなドライイチゴをホワイトチョコで
くるんだお菓子が入っていました音譜
おいしかったです(^^♪

できることをひとつずつ

話は全く変わって…
友(結婚した友↑ではないです)のブログに
「勝ち取ることをしてこなかった日本人」というのが
ありました。

お金の本や、コーチングの本、スピリチャルな本…
どの書物をみても同じようなことが書かれています。
その表現は「勝ち取る」と言うことではない場合もあって
「与えられることを当然だと思わない(のが当たり前)」
「自分のことをできる限り自分でやる」
「シミュレーションするばっかりではNGで、経験してみて
痛いかどうかが分かる」
などなど。

むやみに争う必要はないけれど、自分が理不尽な
思いをすることに対して抗議すること
「本当に正しいと思うことに(ある意味)命をささげること」
は必要だと思う。
…と思っていたら今朝ラヂオで養老たけし先生が
「力があることが正しいこと」という世界になっているが
「正しいことが力があること」が本来の姿だと思う。

とおっしゃっていました。
力がなくても正しいことをしていたら報われればいいのに。
しかし、(自分が思う)正しいことをし続けていたら力を
持たずにいることは果たして可能なのだろうか?

なんとなく、力はあるけれど正しくない人はありえるけど
力を放棄したのでなければ正しいことをし続けていったら
力を得ることになるんじゃないだろうか?
誰か答えを教えて~あせる

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